組織として、家族として…

※注意事項※

・本記事は「モンスターハンターライズ」全編のネタバレを含みますのでご注意ください。
・本記事でのキャラクターや人間関係、世界観の考察に関しては、作中で判明する設定を基にした筆者の推測を含む箇所が多くありますことをご了承ください。
・本記事は、2021年12月17日発売の「モンスターハンターライズ 公式設定資料集 百竜災禍秘録」発売前に執筆されたものです。
 したがって今後公開される公式設定は、本記事での考察内容と明確に異なる(=本記事での考察内容が誤りである)可能性がありますことをご了承ください。
・本記事の内容は、記事を改訂すべき点が発見された際には、予告なく加筆修正を致します。
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百竜夜行の再来に臆することのない鋼のメンタル、ハンター以外の住民も里守として砦の防衛戦に参加する姿から、「戦闘民族」と呼ばれて久しいカムラの里。その強さのゆえんは、もちろん一つには彼らのどう考えてもおかしい戦闘能力というのも要因ではあるのですが、ストーリーや里の住民たちの話を紐解いていくと、カムラの里において長年培われてきた里の皆の結束力こそが、百竜夜行に立ち向かう彼らの力の根源であることが分かってきます。

 

そして私の見るところその結束力とは、一つには「組織」としての結束、もう一つには「家族」としての結束があり、その2つが相互に連関し合って成立しているもののように思われました。以下、カムラの里の絆をそれら2つの側面から探っていきたいと思います。

 

ーーーもくじーーー

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1.組織としてのカムラの里

①「"里を守る"とは、狩るのみにあらず」

カムラの里の組織としての一面は、里長フゲンの次の言葉が象徴しています。

 

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(里☆3百竜後 ムービー)

「里を守るとは、狩るのみにあらず」。里の脅威となるモンスターと戦わなければならないからといって、里の全員が武器を取って戦うということにはならない。モンスターと狩り場で相対するのはハンターですが、そのハンターとギルドを仲介する人、ハンターや里守のための武具・アイテムを提供する人、ハンターの狩猟や里守の防衛戦を支える食事を作る人、その食事の材料を育てたり売ったりする人、ハンターの狩猟には直接関わりはないけれど、里の皆のふだんの暮らしや生計を支える人……といったように、里を守るためにはモンスターを狩る人だけではなく、色々な役割の人が不可欠です。

 

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「"里を守る"とは、狩るのみにあらず」…俺の言葉に、ヨモギもイオリもずいぶんと頭を悩ませているようだ。

ふたりとも純粋すぎるがゆえ、「里を守る存在」というものが、「里の脅威を退ける力」以外と結びつかんのだろう。

…違うのだ。断じて、そうではないのだ。それでは、力に対抗するのは力のみというあまりに悲しい結論に至ってしまう。

まあ、あのふたりは聡明だ。遠からず、自分たちなちの答えを示してくれることだろう。

(里☆3百竜後 フゲン)

 

カムラの里を守るという大きな目標は、全員が武器を持って戦うことによってではなく、里の中でさまざまな役割を持つ人どうしが互いに連携し合い、支え合うことによって―—つまり一つの有機的な集団となって取り組むことによって、初めて達成されうるものです(さらに、今回のマガイマガドはともかくとしても、場合によってはモンスターを狩猟する以外の手段の方が解決策になり得るケースもありえるでしょう)。

 

だからこそ、里を守るために自分ができることを各々が見つけて、それに精一杯取り組むことが大切なのだ……ということを、フゲンはイオリやヨモギに考えさせようとしました。

 

そして加工屋のハモンも、悩める2人に対して「マガイマガドを百竜夜行から引き剥がすからくり」の作製という「加工屋の役割」を徹底する姿を見せることによって、彼らが答えに至るためのヒントを与えました。ガルクマスターのイヌカイからも、彼らの意図したところについて詳しく話を聞くことができます。

 

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私は武器が不得手で里守もできないが、オトモガルクを育て、里を、そしてハンターを支えているという自負がある。

里を守ることも含め、集団でひとつの目標を成すには、役割の重要性に差を付けず、各々の特性を発揮させることが肝心だ。
里長は、対象としてそれを重んじている。だから、その考えに気付かせるためにイオリとヨモギに考える機会を与えた。

そして、ハモンさんの行動もあって、みごとふたりは答えにたどり着いた…というわけだね。

イオリの両親は、今頃どこにいるだろうか。この件を伝えてあげたら、きっと喜ぶだろうな。

(里☆5 イヌカイ)

 

この「役割」という考え方が里の大人たちに深く根付いている様子からして、おそらくこの考え方は、50年前の百竜夜行でカムラの里が壊滅寸前まで追い込まれ、そこから里を立て直し、数十年の時を経て再び襲来することになるであろう次の百竜夜行に備えていくにあたって、カムラの里を「組織」として育てていく際の中心となる思想だった、という風に私には思われます。

 

しかしながらフゲンや里のみんなの台詞を聞いていくと、カムラの里は「百竜夜行(やその他の色々な困難)に対して協力して立ち向かえる集団」として形成されていること、「組織」としての一面を持っていることが感じ取れるんですね。

 

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50年前の百竜夜行で、カムラの里はそれはもう、メチャクチャにされたでゲコ。にがい思い出ゲコ…。

そのとき、里の復興の指揮を執ったのがフゲンだったでゲコ。

百竜夜行で前線に立ってボロボロなのに、あの明るさで里の衆を引っ張って…。どれだけみんなが勇気づけられたことか。

そういうこともあって、のちにフゲンは満場一致で里長になったのでゲコ。この上ない適役でゲコな!

(集会所☆3 ゴコク)

 

ゴコクの話によれば、里の再建においてリーダーシップを発揮したのは、今の里長であるフゲンであるといいます。そのフゲンを中心に、皆がカムラの里の組織としての成長に取り組んできたことによって、50年後の百竜夜行、すなわちモンスターハンターライズ本編で立ち向かうことになる百竜夜行の時には、カムラの里は百竜夜行を「皆で協力して対抗することで被害を防ぐことができるもの」と認識できるまでになっていたのでしょう。

 

また、フゲンの他にもゴコクやヒノエといった面々も、カムラの里の組織づくりに共に中心として取り組んでいるような様子を本編中の会話からうかがうことができます。次の会話クリップを見てみましょう。

 

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百竜夜行が来たって、コミツはへこたれないよ。

だってコミツには、「このりんご飴屋さんをまもる」っていうだいじな"にんむ"があるんだから。

この"にんむ"は、里長とヒノエさんから、コミツにあたえられたんだよ。へへ、すごいでしょ。

でも、「誰かが逃げろって言ったら、とにかくいっしょうけんめい逃げる」…っていうのも、"にんむ"なの。

だからコミツは、いつでも逃げられるようにかけっこの練習をがんばってるよ。

(里☆1 コミツ)

 

百竜夜行が来るという知らせの後で、里長たちは里の子どもたちにも何かしらの役割を与えて回っていたようです。これは、任務という形で子ども達も状況に主体的に関われるようにすることで、「百竜夜行が不安だ、自分はどうすればいいんだろう…?」と戸惑う気持ちを和らげる、という意味もあるでしょうが、一人ひとりが自分の仕事を果たして協力して里を守っていこう、という考え方を若年世代にも浸透させることを目的としているように思えます。コミツは素直な子ですから、任務を与えられてとても張り切っている様子。

 

フゲンも色々な準備で忙しいでしょうに、子ども達への声かけをヒノエ辺りに一任するのではなくわざわざ時間を割いて自分自身も一緒に行っているわけですから、彼が里長としてこのことをどれだけ重要視しているかが分かるポイントです。「危ない時は逃げる」ことも「任務」として教えている所も徹底していますね。

 

フゲンとコミツの会話はもう一つありまして、こちらは里マガイマガドを討伐した後の時期のものになります。

 

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ちょっと前にカムラの里に寄った人がね、「どうして百竜夜行が来てるのに、みんなこんなに元気なの?」って言ったの。

コミツね、「○○さんがいるからです!」…って言えたよ。

「強くて、優しくて、みんなを守ってくれるステキなハンターさんがいるから、みんな元気いっぱいなんです」って。

そしたら里長が、「コミツはよくわかっているな! エライ!」って、りんご飴をいっぱい買ってくれたの。

えへへ。○○さんのおかげで、コミツはまた元気になったよ。ありがとう。

(里☆6 コミツ)

 

ここまでの話を踏まえて考えれば、里長がコミツのことを褒めたのは事実として主人公ハンターの功績が大きいからという理由ではなく、コミツが里の仲間を全面的に信頼して、そのありがたみをよく理解するという思考回路をきちんと持つことができているから、ということになるでしょう。逆に主人公ハンターからすれば、自分が狩猟の役割に専念できるのは里を支えてくれるの皆のおかげですから、コミツともお互い様ということになりますね。

 

また、任務がどうこうという話はコミツだけではなく、傘屋のヒナミからも話を聞くことができます。

 

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ふふふ、○○。アンタがハンターってのもすごいけどさ、アタシだって重要な役割を持ってんの。

いざモンスターが里に迫ったら、そこにある門を閉じる…。これ、里長からの極秘任務ね。

「里を守りきれるか否かはオマエにかかっている!」とか言われちゃってさぁ… 期待されちゃってるよねぇ、アタシ。

(里☆1 ヒナミ)

 

傘屋のヒナミは里の正門に一番近いところに店を構えているということで、万一のときに門を閉めてモンスターの侵入を防ぐという役割を与えられています。危険が伴いますが、非常事態のときにはとても重要な役割。里長のみならずギルマネのゴコクからも門のことを頼まれていて、ヒナミも張り切っている様子です。

 

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いやぁ~、まいったね! この間、ギルドマネージャーのゴコク様がここを通りかかってさ!

「極秘任務、しっかり頼むでゲコ」って言われちゃった! アタシったら、里の長老様にまで期待されてんじゃん!

ますますやる気に満ちちゃうね! モンスター、いつでも来いってんだ! わっはっはっ~!

(里☆1 ヒナミ)

 

門を守ってくれるのは頼もしい限りですが、ここで非常に気になるのは、ヒナミの謎のテンションの高さ。おそらく彼女は、他の人から何か重要な仕事を任されたり期待されたりするとすごく気合が入るというタイプなのでしょう。

 

これは、いざというときに門を閉めるという役割が「極秘任務」として伝えられていることとも関係しています。よく考えてみると「非常時にはヒナミが門を閉める」という情報は、別に他の人たちに秘匿しておく必要はないはずで、むしろ安全のために全体に共有しておいたほうがよい情報でしょう。

 

「極秘」という良い方はゴコクとフゲンどちらが考えたのかは定かではありませんが、おそらくヒナミには「重要な役割を託すぜ!」という雰囲気で伝えた方が張り切って責任を持ってやってくれるだろう、という感じで彼女の性格を理解した上で、別に極秘ではない情報だけれども「極秘任務」という形で伝えたのだと思います(ゴコクは機転が利きそうな印象ですが、もしフゲンがこれを考えたのだとすると、彼がそういう所にも気が回るタイプなのは少し意外かもしれません)。

 

じっさいヒナミは、事あるごとに「極秘任務に備えているから日々気が抜けないのよね~」という旨の話を非常に嬉しそうに話してくれるので、その作戦は的確なものだったようです。しかしながらヒナミに限らず、自分を信頼してくれて仕事を託されるというのは嬉しいことですし、この様子だとフゲンたちはコミツやヒナミだけでなく里の皆にも同様に声をかけて回っていると思いますから、組織としてのしっかりとした里の役割分担が窺える会話だと思います。

 

また、先ほどイヌカイの会話で「自分は武器を持って戦うことはできない」と言われていましたが、里の大人でも全員が砦で戦っているわけではなく、彼のように防衛には参加しない住民もいるんですよね。

 

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さて、百竜夜行か。イオリも、里守として砦へ向かうそうだ。

私は武器が不得手だから、里に行っても里守の足を引っ張ってしまう。…情けない話だがね。

ゆえに、里に残って、イオリの代わりにオトモ広場の留守番をするよ。

皆が無事で帰ってくるように、オトモたちと祈っている。

(里☆3百竜前 イヌカイ)

 

必ずしも全員が里守をやるわけではないのは、里に残って留守を預かる大人もいた方が良いからという事情もあるでしょうが、武器が得意な者もいれば不得意な者もいて、後者に無理に里守をさせるのはカムラの里の組織の論理に反するから―—つまり、里守をする者も留守番をする者も等しく大切な役割であって、里守はあくまでも武器の扱いに適性があり、里守をやりたいと思う者がやればよい、という認識があるからということになるでしょう。イヌカイ以外にも、ケガをしてハンターを休業しているアヤメも、イブシマキヒコ百竜夜行以前には遠征には参加していません。

 

イヌカイは武器が扱えない自分を「情けない」とは言っていますが、それを恥じているという様子はなく、カムラの里においても砦の遠征に加わる人と里に残る人の間に溝のようなものは感じません。イヌカイにとっては、自分よりも年少のイオリが里守として戦いに出向いていることになりますが、それを心配する気持ちは勿論あれど、後ろめたいという感情はないように思います。

 

砦の内外でチームで戦うとは言えども、里守は危険の伴なう役割ではありますが、だからといって……というより、むしろそれだからこそ、里守ができる人とできない人との間に分断を作らないということを、50年前に里守の設立と修行を開始して以来、フゲンたちは意識して行ってきたのではないでしょうか。

 

②ハモンのメッセージ

ところで、このような「役割」という考え方を深く体得するためには、自分の行動や果たした役割が他の人のためになっている、ということと、みんなが助けてくれるおかげで自分も仕事ができている、ということを各々きちんと認識できるようになることが肝要であるように思われます。それがあってこそ、組織内の互いの役割への信頼と尊重が生まれ、自分の役割にも誇りを持てるようになるというもの。

 

そして私の見たところでは、そうした言わば「貢献の可視化」という考え方を特に自ら進んで実践して里の皆に伝えようとしているのが、加工屋のハモンなのではないかと思っているのです。……まあ彼の場合、意識的にやっているつもりはないと本人は言うかもしれませんが、少なくともその結果として、「役割」という考え方を深く浸透させることに繋がっているのは間違いないでしょう。

 

具体的に何をしているのかと言いますと、非常にシンプルなことなのですが、ハモンは自分を助けてくれた里の仲間に感謝の言葉を絶対に忘れない、という振る舞いをつねに徹底しているのです。いささか無愛想という印象があるハモンですが、内心は非常に柔和で他人に丁寧に接する人なんですよね。

 

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あなたがビシュテンゴを狩猟してから、ハモンさん、あっという間に複雑な「からくり」を完成させたの。
作っている間、お腹が空くだろうと思って食事を運んでおいたら、この間、ハモンさんが直接お礼に来てくれて…。

「おぬしたちの食事のおかげで仕事が完遂できた」って深く頭を下げてくれたの。もう…かっこよすぎよね。

(里☆4 スズカリ)

 

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ハモンさんが、マガイマガドをやっつけるために「からくり」を造ったんだよ。
コミツ、お手伝いしたんだ。「からくり」を、砦に運ぶお手伝い。みんなと一緒に、がんばって運んだよ。

そしたらハモンさんがね、「これでマガイマガドが倒せたら、コミツが手伝ってくれたおかげだ」って。

えへへ。役に立てたよ。うれしいな。うれしいな。

(里☆4 コミツ)

 

こうしたハモンの行動は、きれいごとを言えば人として当然のことと思われるかもしれませんが、実際にはなかなか難しいことです。しかも、ハモンの場合は単に感謝を述べるだけではなく、「食事を用意してくれたお陰でからくりが出来た」「運搬を手伝ってくれたお陰でマガイマガドが倒せる」という仕方で、「個々の役割が最終的な目標の達成に直接関与している」という点を強調しています。

 

まさにこの点こそが重要で、実際にマガイマガドを討伐するのはハンターであるにせよ、それは里全体の中でハンターが担う役割ということであって、そこに至るまでの加工屋、米穀屋、里守、からくりの準備……といった各々の役割が一つに繋がって大きな力になっている、という認識を徹底して共有するからこそ、「里の皆の力でマガイマガドを倒した」ということを自信と説得力を持って言えるわけです。

 

さらに、この台詞は里☆4という時期のもの。つまり「里を守るとは、狩るのみにあらず」というフゲンの言葉について、イオリやヨモギが悩み考えている時期になります。彼らに対してハモンが「からくりを造るという加工屋の仕事に徹する」という仕方で役割の重要性についてのヒントを出した、というのが大筋のストーリーではあるものの、ハモンはそれだけではなく、「自分の加工屋の仕事もまた周囲の人たちの力があって成立しているということをきちんと言葉にして伝える」という事も含めて、里のあり方を2人に教えていたのではないでしょうか。

 

ちなみに、これとはまた別の時期の出来事ですが、交易商のチーニョからも同様の話を聞くことができます。

 

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じつは、わたくし…。百竜夜行へ向かわれるハモン殿に、心ばかりのアイテムを渡しましたのニャ。

すると、帰還されたハモン殿がわたくしのところまで訪ねてくださって…。

「そなたがくれたアイテムのおかげで何度も危機を救われた。礼を言う」…と、おっしゃってくださったのです。

ああ…。ハモン殿はどこまでも優しく、強いお方…!

(集会所☆6百竜後 チーニョ)

 

チーニョはハモンのことを慕っているキャラでして、百竜夜行に向かうハモンに渡したアイテムについて、彼がわざわざ自分の元へお礼を言いに来てくれたことを非常に嬉しく思っています。ハモンの方はチーニョの想いに気づいている感じではなさそうですから、彼にとってはいつも通りの振る舞いだったということなのでしょうが……なんというか、ハモンも罪な男(?)ですね。

 

というわけで、カムラの里がいかに「役割」という考え方を大切にしているか、ということを里の皆の会話クリップから考察してきました。モンハンライズは里のハンターの英雄譚という側面を持ちつつも、ハンターが人々を助けるという一方的な関係を描くのではなく、里の全員が様々な立場で協力し合ってモンスターの脅威から里を守っていく……という人類の組織的な戦いをテーマとした物語であり、その考え方が年長者から年少者へ、思考と実践を通じて連綿と伝えられているのがカムラの里の文化なのです。

 

しかし、この「役割」という考え方は、あくまでもカムラの里を一組織として動かすための論理であって、これを以てカムラの里の強固な団結力の全てを説明できるものではありません。彼らの強い絆の根底には、カムラの里はみな「家族」であるという考え方があるのです。次の項で、それを詳しく考えていきましょう。

 

2.家族としてのカムラの里

これまでの考察や本サイトのキャラ個別考察記事からもお分かりいただけるように、本作のNPCの会話は台詞パターンが非常に豊富であり、かつ一人ひとりの人格や人となり、悩みや成長、面白いエピソードなど、カムラの里の「人」を掘り下げる内容のものが大半を占めています。また、あるNPCの会話の中に別のNPCの話が出てくる、という内容のものも多いのがこれまた特徴的で、里の住民同士の繋がりの深さや、全体的な距離の近さを感じさせてくれるポイントです。

 

カムラの里は地理的に微妙に孤立した場所にあるということもあり、敷地が広いとはいえない里の中で自然と互いの距離感も近くなるものでしょうし、百竜夜行の防衛ということを抜きにしても、里単位で自立した生活を送るために、互いに助け合って生活する連帯の文化が元々濃いめな社会と言えるのかもしれません。

 

また、主人公ハンターも里の生まれの人間であり、里の皆も主人公のことを昔からよく知っている親しい仲として、その戦いを応援してくれています。外から派遣されてきた主人公ハンターのことを、村の皆がいつしか「家族の一員」として接するようになるという作品もあり(MH3シリーズのモガの村など)、それもそれでまた味わいのあるストーリーではありますが、本作では「主人公もカムラの里出身である」という設定が、非常に活きているといえます。

 

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(オープニングムービー)

そして、これまで何度も述べたように、モンハンライズにおける百竜夜行との戦いは、主人公ハンター1人のものではありませんでした。カムラの里が守られたのは、主人公ハンターがモンスターを狩猟したからというだけの話ではなく、その狩猟をサポートしてくれたり、里守として共に砦の防衛で戦ってくれたり、戦いの続く間も里の生活を維持し支え続けてくれたりした、里の皆の団結の賜物。

 

その団結の中心点となってきたのは、「カムラの里は家族である」という里の文化です。

 

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(雷神討伐前 ムービー)

ここで言われている「家族」という言葉……これは本作の物語を象徴する言葉であり、そしてその意味するところは、上で述べたようなカムラの里の人たちの「仲が良い」「団結力が高い」ということの単なる比喩というだけではなく、もっと色々な、深い意味を持つものであると私は考えています。以下、モンハンライズの作中にある様々な要素をおさらい・考察したうえで、カムラの里は「家族」という言葉の真意に少しばかり迫っていきたいと思います。

 

①里の住民たちの家族模様

カムラの里のNPCの世間話は、各人のさまざまな家族模様を聞くことができるのが特徴です。ライズのメインストーリーにおいても、里ストーリーにおけるイオリとハモンの話、集会所ストーリー後半でのヒノエとミノトの話はいずれも家族の話であり、しかも「仲が良く円満」という家族のすがたではなく、色々な事情で「うまくいかない」家族のすがたが描かれています。

 

たとえば、里ストーリーで描かれていたイオリとハモンの話は、「ハモンがかつて野良のガルクに襲われた思い出があり、その過去のトラウマから、孫のイオリのオトモ雇用窓口の仕事を受け入れられずにいる」というものでした。

 

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詳しい考察は上の記事に譲るとして、大筋だけ話していきますと、ハモンは本当は孫の背中を押してやりたい気持ちがあるものの、やはりガルクを受け入れられない気持ちがあり、その葛藤の結果、イオリが「軟弱だから」という理由でオトモの仕事には賛成できない、という建前で彼を突き放す態度になってしまいました。

 

自分の仕事を祖父にこそ認めてほしいイオリは悩み、そして一方でハモンの方も、孫の仕事をなかなか受け入れられない自分に悩みます。そんな中、百竜夜行の終わりにマガイマガドが出現し、里としてこれの討伐を目標としたところで転機が訪れることに。「里を守るとは、狩るのみにあらず」というフゲンの言葉に悩むイオリにハモンが暗にヒントを与え、そのおかげでイオリは「オトモ雇用窓口として里を守る」という答えに辿り着きます。

 

マガイマガドの一件を経て決意を固めたイオリは一層たくましく成長し、ハモンもそんな孫の姿を見て、彼の仕事に反対してきた自分を改め、オトモの仕事をするイオリを応援していくように心境が変化。そしてようやく2人は、少しずつ距離を縮められるようになっていく……というのが、里ストーリーにおけるイオリとハモン、孫と祖父の関係のお話でした。

 

集会所のストーリーは、ヌシを伴う百竜夜行の最後に現れたイブシマキヒコとヒノエとの共鳴をきっかけとして、ヒノエ・ミノト姉妹を中心として進んでゆきます。

 

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こちらも、詳しい考察は上記の個別記事に譲りますが、ヒノエの双子の妹であるミノトは、姉のヒノエを溺愛している重度のシスコンとして広く認知されていますが、そのように姉を敬愛しつつも一方で多才な姉に対する劣等感があり、自分を実像よりも過剰に低く評価してしまう性格があります。

 

姉のヒノエや里の皆は、彼女の持つ人一倍の優しさや真面目さをとても素敵だと思っているのですが、ミノト本人はむしろそうした性格ゆえに、自分に課すハードルを高くしすぎてしまう面があります。優しさゆえに他人のことを何でも背負い込み、ミノトが無理して助けなくてもよいことや、ミノト一人の力ではどうにもできない範囲のことにすら責任を感じてしまうせいで、自分を「無力な人間」と感じて卑下してしまう。

 

突如現れたイブシマキヒコとの共鳴に苦しむヒノエを前にとっさに何もできなかったことは、謎の古龍を目の前にして何もできないのは皆一緒なのだから、ミノトが自分を責めなくていいこと……なのに、ミノトは己の無力に深く落ち込んでしまいます。そして、天才である姉―—しかも彼女の中で更に美化されているヒノエ像への劣等感や、竜人族が発現するとされる共鳴能力を、双子なのに姉のヒノエだけが持っているというコンプレックスも、彼女の中で膨らんでいくことに。

 

一方でヒノエも、大切な妹の自己評価の低さを姉として深く心配しています。しかしヒノエは、双子の姉として、ミノトがどれだけ素敵な人なのかを誰よりも深く知っているからこそ、ミノト本人が自己否定をする心理をむしろ理解しづらいという面があるようで……。ナルハタタヒメとの共鳴を経てミノトが一つ自信をつけたあとも、依然として2人は平行線のままという感じで、姉妹の物語はまだまだ先があるような気がしています。彼女たちもまた、互いを大切に思っているからこその悩みを抱えているのですね。

 

まあ、それにしても日頃の仲の良さは相変わらずのようで、ミノトからの溢れんばかりの好意をすんなり受け入れているヒノエもヒノエですが、ミノトに至っては世間話の全体の少なくとも8割はヒノエの話か、少なくともどこかでヒノエが入ってくるものになっておりまして、あまりにも愛が強すぎるんですね。

 

一般論として、好きという気持ちにも友愛や家族愛、恋愛、尊敬や信頼、忠誠心などさまざまな好きがあるものですが、ヒノエに対するミノトの「好き」は、もはやそういう区分が意味をなさないもの、それら全てを超越したもの、わざわざ定義して限定する必要がないもの……という感じです。そして、ミノトを「ずっと姉にべたべたしていて変だ、良くないのではないか」などと言う者は里の中にはまったくおらず、「いつも仲良しでいいね」と姉妹の関係に肯定的な雰囲気があるのも良いところです(※)。

 

※おそらくこれは里の寛容さのみならず、彼女らが竜人族であることも多少関係しているでしょう。長命の種族ですから他の種族とも違う時間が流れていますし、同じ竜人族内にしても、人間目線では見た目年齢がさほど離れていなくても、実年齢はかけ離れているというケースもあるでしょう。さらに、双子である2人は生まれてからの長い時間をずっと一緒に生きてきた訳ですから、2人には2人だけの時間が流れている……という側面も否定できません。

 

また、ストーリーの本筋以外でも、里の住民たちに話しかけて世間話を聞いていくと、自分の家族について色々と話してくれるキャラクターも多いです。

 

たとえば船着場のツリキは、里の外を放浪しているという自分の父親のことについてよく話してくれます。

 

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ウチの親父は、数年前にいきなり「新しいモンが見たい!」って言って里を飛び出してさ。

それ以来、あちこちをうろうろしては手紙と一緒に変なモンばっかり送ってくるんだよ。

前はたまーに帰ってきたりもしてたんだけどな。百竜夜行が来たせいでそれもできなくなっちまって。

でもやっぱり里のことが心配なんだろうな。手紙の頻度はずっと上がったよ。…もちろん、変な荷物の頻度もな。

(里☆2 ツリキ)

 

詳しくはまた別の記事を書きますが、ツリキの父親は里の外をふらふらと旅をしては、旅先で手に入れた品を定期的にツリキや主人公宛てに送っています。荷物の中には「笑気ガス(?)を含んだキノコ」「水っぽくてブヨブヨした謎の肉」などいかにもヤバイ感じの食べ物も入っておりまして……彼は父親の旅については「好きにさせておこう」的な感じで認めているような雰囲気ですが、変な贈り物に関してはツリキも少し困惑している様子です。彼の父親については、さらにこんな話も。

 

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マガイマガドか…。50年前の百竜夜行にも出たヤツだとか。親父がよく言ってたな。

なんでも、ハモンさん大活躍だったらしいぜ。

親父が、酔っぱらうとよくその話をするんだ。ただ… 聞くたびにどんどん話がでかくなっててな…。

最終的に「自分が追い払った」って言い出したんだぞ。そんなわけあるかよ! ハモンさんだろ!

酔っぱらいの話なんて、話半分… いや、四分の一で聞いても多いくらいだ。

あっ、親父のやつ…よその村で酒飲んで妙なこと言ってないだろうな。急に心配になってきたぞ……。

(里☆3 ツリキ)


彼の父親はどうも酒癖があまりよろしくないようで、酔っぱらうと話を盛って虚勢を張ってしまうクセがある様子。ツリキは父親が苦手という訳ではないようで、互いに手紙を出したり、百竜夜行が終われば里に帰って来れるだろうか、という話をしたりしているようですが、少しばかり素行に不安がある父親のことで、なかなか気苦労が絶えないというのがツリキと父親の関係です。

 

つづいて傘屋のヒナミは、傘屋で売っている傘を作っている彼女の弟の話をしてくれます(弟の方はゲーム内にNPCとしては登場していません)。

 

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ここで売ってる傘は、弟が作ってんの。今も、家にこもって黙々と作ってると思うよ。

まあ、加工屋のハモンさんみたいな職人気質でね、気難しいけど根はいいヤツ…みたいな。

里の外でも評判がいいし、おかげさまで売れ行きは上々だよ。弟のためにも、もっともっとアタシが売りまくらないとね。

(里☆1 ヒナミ)

 

ヒナミのところは、傘職人の弟が傘を作って、姉のヒナミの方が店で売る、という感じで分担して商売をしています。明るい性格でハッキリ物を言うタイプのヒナミとは対照的に、弟は少し気難しい性格のようで、家ではケンカが絶えない様子。傘屋の隣で米穀屋を営んでいる、スズカリ・センナリ夫婦の仲の良さを少し羨ましがっているところもありますが……。

 

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米穀屋のセンナリさんとスズカリさんは、いつも仲良し夫婦だよね。支え合ってる感じが、なんかいいな。

ウチは弟は傘を作ってアタシが売ってるんだけど、家じゃケンカばかりしてるからさ。

…まあ、支え合ってはいるけど。

いま、アタシ恥ずかしいこと言ったな。言わないでよ、弟には。

(里☆4 ヒナミ)

 

会話の中で思わず出てしまった本音を恥ずかしがるヒナミ。いいじゃないですか。婚約者にせよ親兄弟にせよ、家族だからと言って必ずしも1から10まで全て分かり合えるわけではないですし、正直お互いの性格の相性があんまり良くないな…ということもあるでしょう。それでも、生きていくために互いを必要だと感じて、自分の役割を果たして支え合ってゆこうとするのなら、それも本人たちなりの一つの生き方と言えるハズ。

 

さて、米穀屋の話がちょうど出たので、次はセンナリ・スズカリご夫婦のお話です。幼馴染同士で結婚したという2人は、主人公の前でも平然とのろけ話をしてしまうほどの仲の良い夫婦。

 

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よう、○○。茶屋のうさ団子もいいけど、しっかり米も食べないとダメだぞ。

俺の嫁さんを見てみろ。毎日、ここの米をたくさん食べてるから、とんでもねぇベッピンさんだ。

もちろん、米を食わなくても俺の嫁さんはベッピンさんだけどな。米を食って、さらに輝きが増してるのさ。

(里☆1 センナリ)

 

センナリ・スズカリ揃ってこんな感じでして、人前で自分の婚約者を褒めるのに何のためらいもなく、もう隙あらばこういう話をしてくるわけですから、2人の愛の強さには敵いません。そして、2人はこうした夫婦としての結束もさることながら、米穀屋を共に経営していく仕事のパートナーとしての強い紐帯も感じさせます。

 

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里の平和が戻るまで、愛する夫と二人三脚でこの米穀屋を守っていくわ。

…と言っても、雰囲気はずっと平和よね。○○さんが頼りになるから、みんな安心してるのよ。

これからも、がんばって。あ、食事はどんなに忙しくても、きちんととるのよ?

(里☆6 スズカリ)

 

夫婦が共に働き手としてバリバリ仕事をやっていくカップル、というのも非常に素敵なものでして、2人とも里の食を支える米穀屋として、百竜夜行の時は補給担当の中心として活躍するほか、主人公の食事のこともこうして度々心配してくれます。家事も、食事についてはセンナリの方がメインで担当しているようで、昔ながらの日本風という里の舞台設定とは裏腹に、非常に今の時代らしい夫婦像を見せてくれるキャラだったりするんですよね。

 

お次は米穀屋の近くでお店をやっている、ワカナ・セイハク親子。飴屋のコミツに片想いするセイハクと、そんな息子について色々コメントするワカナのかけ合いが面白い2人です。

 

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百竜夜行が来るのかぁ。なんか昔、里がひどい目にあったんだよな。モンスターがいっぱい襲ってくるんだろ?

また来ちゃったら、おっかねえよなぁ。コミツ、ボーッとしてるところがあるから、いざとなったら連れて逃げないと…。

……ハッ!!

ち、ちげーし! オ、オレは別に…何かあったときにいちばん逃げるのがヘタそうなコミツを…!

…っていうか、○○ががんばれば、そんなことにはならねーし! だから、がんばれし!

(里☆1 セイハク)

 

セイハクはコミツにどうもうまく距離を詰められないようで、おにぎり屋の仕事をしている最中についついコミツに目が行ってしまったり、好意の裏返しでちょっかいをかけに行ってしまったり。そんな息子をワカナは時には叱ったり、時にはほどよい距離感で見守ったりしています。

 

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セイハクもねぇ… おにぎり屋をやってくれるのはいいんだけどさ。

目を離すと飴屋のコミツちゃんばーっかり見てるのよ。ほんともう、誰に似たんだか…。

(里☆1 ワカナ)

 

セイハクの行動には少し困っている様子ではあるものの、恋の悩みを抱えた息子に対しては良い意味で不干渉を貫き、息子の扱いもだんだん手慣れていくワカナ。セイハクの父親、ワカナの夫については特に話がなく、母子家庭なのかな? と思わせるような描写もある家庭で、息子の恋路を見守るワカナと、一応仕事はちゃんとやっているけどまだまだ恋心をうまくコントロールできないセイハクのかけ合いを追って行くのが楽しく、面白い話題が尽きない親子です。

 

お次は集会所の案内人兼、カムラの里の庭師でもあるハナモリ。彼はカムラの里の美しい桜の世話をしていますが、この仕事は彼の祖父から引き継いだものであるという話を聴くことができます。

 

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この里には桜がいっぱい咲いてるだろ。何を隠そう、あれを植えて育てているのはこの俺なんだ。

元は、じいちゃんがこの仕事をしててさ。俺、子どもの頃からじいちゃんに付いて回ってたから、すっかり覚えちゃって。

花はいいよな、見てるだけで心が穏やかになる気がしないか? ま、わりと手はかかるんだけど。ハハ。

(集会所☆1 ハナモリ)

 

祖父の代から咲き続け、祖父が守り続けてきた里の桜を、孫であるハナモリが受け継いで守り続けていく……。本人も「手はかかる」と言っている通り大変な仕事ではありますが、祖父から手に授かった仕事を全うする姿が素敵です。祖父と孫、という関係が語られるのは彼の他にはハモンとイオリがいますが、イオリは祖父の仕事とは違う道で活躍していますから、仕事を引き継ぐか否かという点でちょうど対照的な設定になっていると言えるでしょう。

 

最後に、本人の口からは特に何も語られることはありませんが、赤ん坊の頃にカムラの里にやってきた、ヨモギのこともお話ししておきましょう。

 

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(里☆6 フカシギ)

ヨモギは元は別の国の出身で、記憶もないくらい幼い頃に竜人族のハンターに連れられて、この里に預けられた…という来歴の持ち主。連れて来たのがハンターということですから、おそらくその国はモンスター絡みの何らかの災禍によって住むことができなくなり、竜人族のハンターはこの里にヨモギを託すことにした、ということのように推測できます。

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(里☆1 ヨモギ

ヨモギ本人が自身の出自を知らされているのか、知らされてはいないのかは定かではないものの、彼女はこの里の温かさと絆の強さに強い思い入れがあるようで、この「地上最強」というフレーズは百竜夜行クエストのクリア時などにも聞ける、半ば彼女の決まり文句のような言葉。

 

生まれた時の故郷や肉親はいなくとも、カムラの里のみんなを家族として彼女は育ってきて、幸せに日々を過ごすことができています。ヨモギの依頼サイドクエストをクリアしたときには「大好きだよー!」愛の告白喜んでくれたりもして、愛情表現が豊かな子という印象もありますね。

 

竜人族のハンターなる人がヨモギを託す先としてカムラの里を選んだのは、地理的に近かったからとか、翡葉の砦など対モンスターのインフラが整っていて安全だからという理由もあるかもしれませんが、カムラの里の文化なら、ヨモギのことを家族として受け入れてくれると思ったから…というのもひょっとするとあるかもしれません。

 

ゲーム中ではあまり描写されることはないものの、モンスターの力が強大で人間の生活がしばしば脅かされるという世界観であれば、いわゆる孤児という存在を考えないわけにはいきません。モンスターの襲撃で親や親族、家や故郷のない子どもを温かく迎えるという文化は、モンハン世界において価値のあるものと言えるでしょう。

 

里のNPCたちの姿を通じたこれらの描写は、一つには家族というものの多様性をありのまま描き出し、さまざまな家族や家庭の形の存在を肯定するものであると言えます。私個人が推測したにすぎない設定も含めますが、共働き家庭、片親の家庭、自分の仕事を子孫に受け継いでいる家庭とそうでない家庭、兄弟姉妹のあいだの絆やケンカ・コンプレックス、肉親はいないけれど里の皆の手で育てられる子ども……等々、分析してみるとさまざまなタイプの家族が存在していて、それらの家族模様や家族への想いを色々と引き出しつつ、全体を明るく描いてまとめるというのが本作のデザインであると言えそうです。

 

そしてもう一つには、家族という関係性の光と陰の両方を捉えようとする試みであると言えるでしょう。明るい雰囲気のゲームを目指して作られている関係上、作中に深く暗い影を落とし込むような設定や表現こそないものの、私たちが日ごろ肯定的な意味を込めて使う「家族のような」「アットホームな」などの言葉に象徴されるような、「家族=温かさ、仲良し、幸福」というイメージへのアンチテーゼを随所に見だすことができます。

 

自分の家族を大好きだと思えるのならそれはそれで非常に幸せなことではありますが、一方で家族に対して必ずしも良い思いばかりを抱くということでもありません。家族の性格や行動に悩まされたり困らされたり、憎悪やコンプレックスの対象になったり、自分の人生につきまとう呪いのような存在になることだってある。家族の存在が、良くも悪くも自分の人生に影響してしまうこともある。そもそも、自分の生まれ育った境遇には家族と呼べる人が1人もいなかったという人もいるでしょう。幸せな家族になるかどうかということと、血縁かあるか否かということもイコールにはなりません。

 

どういう家庭に生まれたか、どんな人の家族なのかによって、楽しいことや幸せなことはもちろん、つらいことや大変なことも変わってくるもので、自らの境遇のゆえに「家族」という関係に悪いイメージやもやもやした気持ちを抱く人も決して少なくないでしょう。これは私の勝手な偏見に過ぎませんが、大半の家族や家庭には少なからず「理想の家族像」なる観念には適合しない部分が存在しているのではないでしょうか。

 

……しかしそれでもなお、私たちがある人間関係(血縁のあるなしに関わらず)を指して「家族」という表現を用いるときは、そこに何らかの強い紐帯や団結、安心できる居場所、人の温かさ、1人ではないということへの喜び……といったものを見い出していることも、否定できないひとつの事実です。

 

このように、里の住民たち一人ひとりに、良いことも悪いことも含めてさまざまな家族のバックグラウンドがあるという緻密な設定があり、それらは「家族」という言葉を仲が良いというイメージのみで扱うのではなく、もっと複雑さをはらんだ繋がりとして扱う、という見方を提示するようなものであると言えるでしょう。

 

②種族の話

カムラの里は、人間、竜人、アイルー、ガルクと大きく4種類もの種族が共存する里となっていますが、筆者が特に驚いたのは人口比率のうちのアイルーが占める割合の多さ。里の出身でない人を除いて数えたとしても、プレイヤーが会話できるNPCのだいたい3人に1人程度はアイルーであり、その他にも里を散策したりストーリームービーなどを見てみると、茶屋やたたら場で働いているアイルーもたくさんいるのが見受けられます。私は各作品の拠点の人口にそれほど詳しい訳ではありませんが、この割合は異例と言ってよいものと思います。

 

これまでの作品の拠点にも、NPCとして会話ができないだけで設定上はたくさんアイルーもいたのかもしれませんが、それならそれでカムラの里は会話可能なアイルーのキャラが多いということで、やはり異例と言えるでしょう。

 

この本作の特徴について考えるにあたって、非公式のWikiではありますが、モンスターハンター大辞典Wikiの「獣人族」の項を参考にしたいと思います。

 

wikiwiki.jp

 

アイルーやメラルーなどの獣人種は、獣人種のみで住居を作り、彼らの独自の文明の中で生活をしている者(いわゆる野生のアイルー)と、人間社会の文明に関わり(必ずしも迎合するわけではないにせよ)人間と同じ共同体の中で生活している者とに大別することができ、「人類」という括りとは付かず離れずの関係にあると言えます。前者と後者でどちらの生き方をするのかは、まず各々の生まれ育った環境に大きく影響されるでしょうし、最終的には自由に選択するところとなっていると思われます(その他、特定の社会には帰属せず個人で旅をしている、という者などもいるでしょう)。

 

したがって人間のコミュニティにいる方が偉いとか、獣人族のみで独立している方が偉いとかいうことはないと思いますが、人間のコミュニティと共存ないし友好的な者もいれば、中立の者、敵対的な者もいるというというのが大枠の設定という風に伺えます。ライズのマップでも、大社跡の木の上などに野生のアイルーの住居がありますね。

 

そのような設定がある中で、アイルーの住人が会話可能なNPCのおよそ3分の1を占めており、それ以外にも多くのアイルーの住人が暮らしているというカムラの里の特筆すべき点について、私は一つの仮説を立てています。それは、カムラ地域で今生きているアイルーたちの祖先において、数十年おきにこの地域を襲う百竜夜行という災禍の中を生き延びるために、人間と同じコミュニティで生きることを選んだ者が多かったということなのではないか、というものです。

 

フィールドマップにおける野生のアイルーたちの居住地は、彼らの体格の関係で人間の居住地に比べれば相対的に小規模であり、木の上なり洞窟の穴の中なり、脅威となるモンスターから比較的隠れやすいような仕方で生活圏を形成しているほか、獣人族の中にはモンスターを狩猟するための技術を身に付けているものもいるようで、各々の仕方で自衛策を講じつつ生活を営んでいることが分かります。

 

しかし、百竜夜行で数多のモンスターが往来する状況となっては、それらの対策があってもなお安全に生活できるとは言い難いでしょう。むしろ、人間と同じコミュニティで生活し、異なる種族同士で協力して自分たちの身を守りつつ生活してゆく方が良いのではないか。

 

かつてカムラ地域に生きていたアイルーの先祖たちのなかで、そのように考えた者が多かったからこそ、あるいは、歴史上のどこかの明確な時点からそうした共生が始まったとかではなく、昔から続く百竜夜行への共同防衛線として、そうした多種族的な文化が元々この地域には自然にあったからこそ、その生き方が脈々と受け継がれ、今のカムラの里の人口比率があるのではないか……と、勝手な推測ながら思ったりもするのです。

 

さらに特徴的なのは、組織内でのいわゆる師弟関係や上司部下の関係と、種族の差異とが明確に切り離されているような実例が随所にみられるところです。代表的な例は茶屋で、茶屋の全体を取り仕切っているトップはオテマエであり、ヨモギは師匠であるオテマエからうさ団子の何たるかを教わった弟子という関係になっています。またオテマエは、人手の足りなくなった集会所の雑貨屋担当にマイドを指名して仕事に就かせているということも考えると、集会所の人事権の一部もオテマエにあるということすら窺えたりするんですね。

 

オトモ隠密隊の受付であるコガラシは、オトモアイルーたちの頭領という役職で指導や何やらを一任されていて、イオリはコガラシの堂々たる風格について「自分もああいう威厳がある人になりたい」と尊敬の念を評しており、彼にとってコガラシは非常に頼もしい上司という存在のようです。

 

また、独立して個人で店をやっている者もおり、先ほど名前の出たマイドにしても、雑貨屋の経営は完全にマイドに一任されて自らの裁量で商売をしていますし、魚屋のカジカも同じく独立で、魚の収穫から販売までを全て自力で行っています。それから、店と言えるかは微妙ですが、神業を持つと言われる(カゲロウ談)医者のゼンチもいますね。経営者が人間の店とアイルーの店とが、仕事の上で対等の関係を結んで提携を行っている様子もあります(茶屋と米穀屋)。

 

狩り場での役割(ハンターとオトモ)となるとまた話も変わってきてしまうのですが、少なくとも日常生活の範囲内でいえば、種族の違いを感じさせない……と言うと、逆に種族の差異を変にもみ消してしまうようで個人的にあまり濫用はしたくない表現なのですが、少なくとも種族の差が何らの壁も生まないような共同体が形成されている、と言って差し支えは無いと思います。

 

③カムラの里の歴史と、イブシマキヒコ登場シーン

先述のゴコクの会話にもあったように、50年前のカムラの里は百竜夜行とマガイマガドの襲来により、壊滅寸前の危機に追い込まれた過去があります。

 

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(集会所☆3 ゴコク)

当時のことについてあまり暗すぎる話は聞きませんが、それだけ多くのモンスターが襲来し建造物も多くが倒壊……となれば、実際のところ、自分の家族や同胞を失った者も少なくなかったでしょう。それこそ、いわゆる戦災孤児のように、いわば「百竜夜行孤児」になってしまった子どもも多くいたことと思います。

 

失ったものへの悲しみも抱えながら、生き残った者たちでカムラの里を復興し、また何十年か先に来るであろう百竜夜行への備えを構築していかなければならない……そんな途方もない状況下において、残された者たちは互いを「家族」と思い、手を取り合って、身を寄せ合って、カムラの里を再興しつつ生きていく道を歩んできたという歴史があるのではないでしょうか。

 

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(↑ 里内に点在する灯籠。先祖の霊を祀るものと思われるが、里の壮絶な戦いの過去や、「死」の影を感じさせるものでもある)

 

カムラの里に「家族」としての密な繋がりが築かれるのは、地理的にやや隔絶されているという風土からしても自然と言えそうですが、里に壊滅的な被害をもたらした50年前の百竜夜行からずっと里の中枢として生き抜いてきた、フゲンやハモンといった面々の口から特に「家族」という語が強調的に語られるのは、百竜夜行がもたらした、大切な人たちの喪失を耐え抜いていくために、生き残った者たちが互いに助け合い、どうしようもない寂しさを埋め合い、互いの存在の温かさを感じられるような強い繋がりの象徴として、彼らが「家族」という言葉を自分たちの中心に据えてきたからではないでしょうか。

 

そして、来たるべき今回の百竜夜行です。積年の対策のおかげで大きな被害もなく、順調に防衛戦を行うカムラの里でしたが、集会所ストーリーではイブシマキヒコの登場によって、ヒノエが共鳴で倒れてしまうということがありました。幸いにもそれほど大事には至らなかったものの、具合を悪くしたヒノエをミノトが抱えて帰ってきた直後の里の皆の反応は、尋常なものではなかったといいます。

 

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ヒノエさん、元気を取り戻したみたいで、ホントによかったよ~。最初はもう、びっくりしちゃったもん。

だってさ、ミノトさんが泣きながらヒノエさんを抱えて帰ってきて…。ヒノエさんは顔色が真っ青だし…。

里のみんなも静まりかえっちゃって…。……あんなの、イヤ。二度とイヤ。思い出すのもイヤ。

○○さん! ヒノエさんを苦しめた古龍、絶対にやっつけてね!

(集会所☆4 ヨモギ

 

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龍と共鳴したヒノエさん、とてもつらそうで、見ているこっちも気が気じゃなかったよ。

いつも俺たちが用意した飯を笑顔でバクバク食べてくれてたのに、のどを通らない状態がしばらく続いて…。

当たり前だった日常が壊れることって こんなにもキツイんだな。

まあ、今はだいぶ回復したみたいで、いつも通りの大食いに戻ってくれてホッとしてるけど…。

…ちくしょう。あんな思いは、二度とゴメンだよ。

(集会所☆4 センナリ)

 

この集会所☆4百竜夜行は、ストーリーとしては「百竜夜行の元凶の尻尾を掴んだ」というイベントなのですが、同時にカムラの里としては「今回の百竜夜行において、里の中で初めて重症者が出てしまった」という出来事でもあるんですよね(里のマガイマガドの時は、危ないところでしたが間一髪で逃れています)。ヒノエの場合はケガではなく古龍との共鳴で、命に別状はなくその後は元気を取り戻していますが、一時は深刻な体調不良に見舞われていました。

 

砦から帰ってきてから、ヒノエの症状が回復するまでの間の状況というのは実際にムービーなどで描かれてはいないものの、センナリによれば一時は食事すらとれないほどの重い症状があったわけで、先に砦から引き揚げていた里守たちや里で待っていた人たちは、最初は当然そのことを知らされないままぐったりしているヒノエを目の当たりにしたわけですから、何か命に関わることでもあったのではないか……という焦りやショックを受けたであろうことは、上の会話クリップを見ても明らかなことと思います。当時現場にいて共鳴の様子を見ていた主人公たちにしても、ヒノエの身がどうなるのかと気が気ではなかったでしょう。

 

ヒノエが回復した後は、「ヒノエが元気になってよかった」など彼女を心配する言葉を里の一人ひとりから聴くことができて(加えて、落ち込んでいるミノトの方を気遣う声もたくさん聴くことができます)、更にその後続いてミノトがナルハタタヒメと共鳴をしたときにも、集会所の面々はもちろんのこと、たたら場エリアやオトモ広場にいた人たちも大慌てで集会所のミノトの所に駆け付けた……という話を聴けるんですね(ただし、ミノトの場合は共鳴が発現したことを喜んでいたため一同は困惑する)。

 

イブシマキヒコの登場、古龍との共鳴というイベントは、誰もが内心で最も恐れていたであろう「カムラの里から誰かが欠けてしまうこと」への恐怖と不安を描き出すと共に、里の仲間をかけがえのない存在と思い、誰か一人の身に起きたことには里の全員で向き合っていくという、里の温かさを改めて証明してくれる出来事というストーリー上の意味があったのはないかと私は解釈しています。

 

ギルドからの指令を受け、最終決戦に挑む主人公ハンターを見送るための集会のシーンでも、皆が一堂に会し、自分たちは一心同体だ、必ず生きて帰ってきてほしいと自分ごとのように応援してくれるものですから、それのなんと心強いことか……と思わずにはいられませんでした。

 

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(雷神討伐前 ムービー)

また、少し話が逸れますが、50年前の当時にせよ今のカムラの里にせよ、じっさいのところ「百竜夜行の危険を理由にカムラの里を出て行った人」というのが、一人もいないわけではないと思います。

 

カムラの里は地理的な面で、他の人間の住む地域と少しばかり隔絶されている感はありますが、ハネナガのように他の地域から里を訪れた人もおり、陸路以外に水路を経由してでも都市間の往来はできるわけですから、「百竜夜行があり生活に不安のあるカムラの里を離れて別の場所で暮らす」という決断をした人、あるいは行動には移せなかったものの、内心でそういうことを考えていた人が、ここ数十年の歴史上でひとりもいなかった、という可能性を否定することはできないでしょう。

 

どんな人生を望むにせよ、まずは命があるということが最も重要なのですから、カムラの里を出るという選択肢はリスクヘッジとして当然考え得るものですし、責められるものでもありません。百竜夜行の恐ろしさを知っている以上、人が出ていってしまうというのは寂しいことではありますが、その選択の合理性は十分に理解できるものです。

 

翻って考えてみると、今カムラの里で生きている人というのは(自立して生活する能力が不十分な子ども等はともかくとして、少なくとも里の大人の大半については)、百竜夜行があると分かっていながらも、カムラの里に生きることを選んだ人たちなのだと言えます。

 

それは、里守としての修行や、組織的に百竜夜行を戦い抜く体制が育っているおかげで、百竜夜行を「どうにもならない災害」ではなく「力を合わせれば被害を防ぐことができるもの」として認識することが出来ているから、というのもありますし、モンハン世界ではモンスターの力が非常に強大である以上、里を出て他の村なり都市なりへと向かう道のりにも安全の保障がないという事情もあります。

 

しかし……何よりも彼らは、カムラの里が好きだからこそ、あくまでも里で暮らし続けることを選んでいるのではないでしょうか。

 

カムラの里という場所への思い入れ、先ほど挙げたマキヒコ事件の時の会話クリップにも顕著に見られたような、カムラの里の人たちの温かさや一体感が大好きだという気持ち、あるいはそこまで断固たる意思という感じではなくても、カムラの里の雰囲気が心地よく、里の皆のことが好きで、里以外のどこかで生きる自分というのはあまり想像できないという気持ち……各々にそういう気持ちがあってこそ彼らはカムラの里で暮らし続け、そして同じ選択をした者同士、自分たちの団結力を信じ、百竜夜行から里を守るために力を合わせて戦っていく……。

 

ややシリアスみが深い話になってしまいましたが、主人公ハンターも含めてカムラの里に今生きている人たちというのは、そういう人たちなのではないかと私は思うのです。

 

④総括とおまけ

以上の考察をもとにして、カムラの里は「家族」であるという言葉についての私なりの解釈を立てるならば、次の通りになります。

 

それは、百竜夜行という災禍に襲われるこのカムラの里に生きる人たちは、同じ命運を共にする一つの共同体であるということ。そして、里の存亡をかけた百竜夜行にせよ、他の様々な難局にせよ、そうした困難に抗って生きていくためには、あらゆる立場や属性を超えて、好きな相手とも、必ずしも好きとは言えない相手とも、互いに互いをかけがえのない存在と感じ、嬉しいことも苦しいことも一人ではなく皆で分かち合いながら、手を取り合って里を守っていくのだということ。カムラの里は「家族」である、という命題を、私は以上のように解釈しています。

 

そして、主人公ハンターにとっては、自らの「家族」である里の人たち一人ひとりの顔がはっきりと見えてくるような、豊富で丁寧な会話テキストの設定があり、自分の家族である皆が里で実際に生活していることのリアリティ、彼らが日々を幸せに過ごしていること、百竜夜行という困難を乗り越えようとする団結力、そしてハンターとして狩場に赴く自分を、いつも皆が一番近くで支えていてくれる頼もしさ……。

 

そうした姿への愛おしさというものを肌に感じさせる作り込みになっているからこそ、「自分の家族と故郷を絶対に守りたい」という気持ちが湧き上がってくるもので、そのことによって「百竜夜行から里を守るための戦い」という物語への没入感を得られるのだと思います。

 

加えて、カムラの里の「家族」としての紐帯は、排他的な雰囲気を作ることはなく、むしろ他の地域から里を訪れた人々をも、里の家族にしてしまうような魔力があります。

 

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(雷神討伐前 ハネナガ)

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(淵源討伐後 ロンディーネ)

ロンディーネは「仕事が終わったら私的に訪れたい」と言い、ハネナガに至っては最終的に「永住しちゃおうかなー!」とまで言い出してしまうもので、里の家族が増えていくのは嬉しい限りです。

 

そして……ここからは本記事の余談ということで、少し話は変わりますが、「家族」というテーマで忘れてはいけないのが、本作の最終的な敵のことです。ライズのストーリーにおいて、主人公がカムラの里を守るために最後に戦うことになるのがイブシマキヒコとナルハタタヒメになるわけですが、本作の最大の皮肉ともいうべきことは、この古龍のつがいもまたある意味では家族であるということ、言い換えれば主人公ハンターは自分の家族を守るために、他の家族を滅ぼさなければならないということです。

 

百竜夜行が発生する原因は、イブシマキヒコとナルハタタヒメがめぐり逢って子孫を残そうとする際、イブシマキヒコの大移動に伴って生じる威風によるものであるということでした。つまり主人公ハンターは、家族であるカムラの里を守るべく百竜夜行の大元であるつがいの古龍を倒さなければならないが、その古龍の側にもまた家族と呼べる営みがある……ということになるのです。

 

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(百竜の淵源 ムービー)

龍宮砦跡に現れたイブシマキヒコとナルハタタヒメの抵抗も苛烈なものであり、地下の巣穴にいる産卵期のナルハタタヒメを守っていたイブシマキヒコが瀕死になると、ナルハタタヒメはイブシマキヒコを捕食し風の能力を吸収するという生態までも見せ、自分たちと子孫の生命を害しようとするハンターに襲い掛かります。

 

もちろん、モンスター側に人間と同じような「家族」概念があるのかどうかは不明ですし、ましてやハンターへの抵抗の末に瀕死になり、最終的にナルハタに捕食されて力を与えることでナルハタの母体を守ろうとしたマキヒコを指して「家族のために身命を賭して……」などと表現し称揚しようとするのも、他の生物の生態を過剰に美化して解釈しようとする人間のエゴに過ぎないかもしれません(古龍は一般的な動物より知能が高いとされているので、人間と同等かそれ以上の高度な精神を有している可能性も否定はできませんが)。

 

しかし、里の家族を守るために戦い続けてきたストーリーの最後につがいの古龍というモンスターが用意されているという展開―—しかもMHシリーズで珍しく、明確に雌雄があり子孫を残そうとする描写のある古龍がわざわざこのモンハンライズに登場したということの背景には、やはり次のような意図があると推察せざるを得ません。

 

すなわち、人類と同じようにモンスターにもモンスターの家族があり、それを守るために彼らも必死で生存競争に臨んでいるということ、そして主人公ハンターの戦いとは、人類側の視点から見れば、古龍の脅威から里の家族や人々を守るための戦いであり一つの英雄譚ではあるが、一方で自然界を俯瞰する視点で言えば、自分の生命のために他の生命を支配したり殺したりするという生存競争の一環であり、そしてナルハタタヒメ達から見れば、自分たちの子孫繁栄を阻もうとする人類の方こそがむしろ迷惑である、とすら解釈しうるようなものであるということ……そのようなことに想いを馳せるきっかけを、ここまで戦ってきたプレイヤーたちに与えるような意図があるのではないかと思います。

 

もちろんそれだからといって、主人公ハンターの戦いの意義そのものが全面的に否定されるわけではありません。ナルハタタヒメ達を倒さなければカムラの里は百竜夜行の脅威に苦しめられ続けることになりますし、それを見過ごす理由はない。

 

しかし、古龍(に限らず他のモンスターでも同様ですが)を討伐することによって人々が救われる、というのはどこまでも相対的な善でしかなく、守るべき家族がいるのは自分だけでなくモンスターの方も同じであるにも関わらず、共存できないのならば時には戦って生命を奪い合わなければならない場合もあるという、自然界の救われがたい側面を考えさせられることになります。

 

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(集会所☆6 ヨモギ

このヨモギの台詞のように、里の人たちの会話の中には、百竜夜行の元凶たる古龍たち、特にヒノエを苦しめたとして目の敵にされているイブシマキヒコをいわゆる「物語の悪役」として描写するようなものがあり、人類目線に大きく寄った見方、ある意味では意図的に組み込まれたミスリーディングとも解釈できるようなものが伺えます。

 

自然界の生存競争にそもそも善悪などない、というのは私も基本的に賛成するところですが、その上で敢えてその概念を用いるとすれば、もし人類側にとってつがいの古龍が「悪」なのだとすれば、この2匹にとっては自分たちの生命を奪い、子孫繁栄を邪魔しようとしてくる人類側の方が「悪」ということにならざるを得ません。

 

mhrisecharacter.hatenadiary.jp

 

上記のモンスター考察記事で考えてきたことも踏まえると、これまで何作品も通して世界観を積み上げてきたモンハンシリーズが、ここにきて「人類側が善でモンスター側が悪」などという単純で人間中心主義的なテーゼを本気で押してくるとも思えず、むしろそうした「偏り」を起点に、プレイヤーに色々と想像力を働かせてほしい、という意図があるように思えます。

 

モンスターと戦う人類側に大きくスポットを当て、主人公ハンターの「家族を守る戦い」というストーリーの果てに「モンスター側の家族」という存在が立ち現れてくる。「家族を守る」という主人公ハンターの信念にとってある意味では大きな矛盾であり、それでも自分が守るべきもののために戦わなければならないという、ハンターとしての使命に覚悟を決める場面でもある―—。

 

そうしたことを踏まえて、モンスターハンターの世界のいわば永遠の問いとも言える、「モンスターを狩るとはどういう行為なのか?」ということについて、その肯定的な面も否定的な面も色々と考えてくれたらいい……そういうメッセージとして私は解釈しております。

 

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さて、長文ではございましたが、本記事の考察はこの辺りで終了としたいと思います。また何か思いつくことがあったりしたら書き足すかもしれませんが、ひとまず私の考えをまとめた次第でございます。

 

本記事の投稿が12月15日……公式資料集発売後だと何だか後出し感が出てしまうのが気になっていたので、この記事と他数記事だけでも発売前に間に合って良かった……と今は安堵するばかりです。資料集、NPCのことがどれくらい書いてあるか分かりませんが、楽しみですね。私も、ひとまず手元の収集した会話クリップで全員分の記事を書き終えたら、購入して拝読する予定でございます(いつになるのやら……)。

 

それでは、ここまでお読み頂きありがとうございました。また別の記事でお会い致しましょう!